はじめに Introduction

悔やまない 好きだからこそ
すべてを捨てて生きた日々に悔いはない
永遠のミュージカル『コーラスライン』

1975年4月。ミュージカル『コーラスライン』はニューヨーク、オフ・ブロードウェイのパブリック・ニューマン劇場(299席)でその幕を開けた。
実際にダンサーを集め、徹底的なインタビューを行ったマイケル・ベネット(原案・振付・演出)は、ショービジネスの世界で舞台にすべてをかける若者たちの姿、そして彼らが抱える複雑な家庭環境、思春期の戸惑い、性の悩み、希望や不安、苦悩を赤裸々に描き出すことに成功。
すでに前評判の高かったこの作品はプレビューを開始するやいなや爆発的な大ヒットとなり、3ヵ月後にはオン・ブロードウェイに進出、10月19日にはシューバート劇場で初日を迎えた。

翌76年のトニー賞では最優秀作品賞、振付賞を含む9部門を独占受賞するという快挙を成し遂げ、その他ピューリッツァー賞演劇部門賞、ニューヨークドラマデスク批評家賞なども連続受賞。
人気はとどまることを知らず、前人未到のロングラン公演へと突入する。
1983年9月にはそれまで『グリース』が持っていたブロードウェイ最長ロングラン記録を破り、85年には映画化。日本でも大ヒットとなった。

オフ・ブロードウェイでの初日から15年が経った1990年、いよいよ閉幕が発表されるも、このニュースが流れると閉幕を惜しむ人々がなだれをうって劇場へ足を運び公演延長、4月28日になってとうとう幕がおろされたのだった。
その記録、6137回公演、観客動員数664万人。
現在も世界各国で上演され続けている。

劇団四季の『コーラスライン』は1979年9月、東京・日生劇場で幕を開けた。

ブロードウェイで大ヒット中のミュージカルに、日本でももちろん注目が集まっていたが、上演契約については製作サイドが大変慎重であることも聞こえていた。
しかしそんな中、訪中後に日本に立ち寄ったマイケル・ベネットと劇団四季首脳陣の会談が実現。
稽古場を見学したベネットは、四季のダンス力、演技レベルに太鼓判を押し、上演が決定する。
そして、出演者全員をオーディションで決めることが発表された。

オーディションを描いたミュージカルの出演者を、オーディションで選ぶ――

それまでの日本では、主役も含め出演者全員をオーディションで選ぶことは珍しいことであり、この発表はセンセーショナルな反響を呼んだ。
宝塚や松竹歌劇団、日劇ダンシングチーム出身者ほか、新劇の俳優や学生など400名を超える応募が集まったが、書類・一次審査を通過したのは四季内部からの37名を含め61名。
来日した振付助手、マイケル・リードによる1ヶ月の猛特訓を耐え抜いた者の中からさらに絞られ、マイケル・ベネットも参加した舞台稽古を経て迎えた初日。
初演プログラムに載った名前は26名だった。

開幕後の大きな反響を受け、全国公演をはさんで東京で年明けすぐに再演された『コーラスライン』。
その後も各地で大々的なオーディションを繰り返し、優秀な人材を見出しつつこの上演を続け、現在にいたるまで2000回を超える公演を行ってきている。
劇団四季の数あるレパートリーの中でも最も重要な作品として、四季ある限り、上演が続けられるはずである。

1987年に世を去ったマイケル・ベネットは、「僕は"ドラマ"を作った」という言葉を残している。
そのドラマは、目標を掲げそれぞれの人生を生きる私たちの姿と心象を、国境や言葉の壁を超えて舞台に映し出し続ける。
ダンサーたちの生き様は、私たちの人生そのもの。
この永遠のミュージカルは、これからも世界中の人々に愛され続けることだろう。

関連コンテンツ

ストーリー Story

舞台上には1本の白いライン―――コーラスライン

クリエイター<マイケルベネットが語る>

マイケル・ベネットが語る

登場人物 Character

コーラスラインの登場人物はこちら