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『マンマ・ミーア!』を手掛けた3人の女性クリエイター

自立して強く生きる女性たちに贈ったミュージカル
『マンマ・ミーア!』を手掛けた
3人の女性クリエイター

パワフルでエネルギッシューー最高にハッピーなミュージカル『マンマ・ミーア!』
を生み出した3人の女性とは、どんな人物なのでしょうか?
彼女たちの歩んできた道のりをご紹介しましょう。

  • プロデューサー
    ジュディ・クレーマー
  • 脚本
    キャサリン・ジョンソン
  • 演出
    フィリダ・ロイド
  • プロデューサー ジュディ・クレーマー

    『マンマ・ミーア!』のプロデューサーであるジュディ・クレーマーは、1977年にロンドンのギルドホール音楽演劇学校を卒業しました。

    卒業後、ジュディは劇場やテレビ、音楽の現場でキャリアを積んでいきます。
    特に、舞台では『キャッツ』のオリジナルプロダクションに携わっていたこともありました。しかし、当時は下積み仕事ばかり。
    「自分で舞台をプロデュースしたい!」という強い願望をもっていたジュディは、ある日、思い切って上司にその熱意を伝えます。すると、ちょうど『ライオンキング』や『エビータ』で知られる作詞家ティム・ライスがABBAを解散したばかりのビョルン・ウルヴァースとベニー・アンダーソンと組んで『チェス』という新作舞台を手がけるため事務所を開いたことを知らされたのです。

    ジュディは、すぐさまその事務所の門を叩き、その3人のもとで仕事を始めました。1984年のことです。
    しかし、当時のジュディはグラムロックに夢中で、ABBAの音楽に興味はなかったといいます。ところが、ビョルンとベニーに渡されたテープがジュディの人生を一変させます。華やかで多彩なメロディー、洗練されストーリー性のある歌詞。聴けば聴くほどABBAサウンドに引き込まれていったジュディは、事務所でテープが擦り切れるほどその世界に没頭していったといいます。

    「いつかABBAサウンドで舞台を」―そう誓ったジュディでしたが、夢の実現までは多くの時間を費やすことになります。現実的な問題はもちろん、何よりABBAのメンバーであるビョルンが首を縦に振ってはくれませんでした。
    しかし、何度もビョルンのもとに通い、熱心に想いを伝えると「いい脚本があるのならば」とついにジュディの申し出を受け入れてくれました。後にこの“いい脚本”を生み出すことになるキャサリン・ジョンソンとの出会いは、彼女の紹介で触れることにしましょう。

    こうしてミュージカル『マンマ・ミーア!』の初演が開幕したのは1999年。
    ジュディがABBAの2人と出会い、その音楽の虜になってから15年の年月が経っていました。

    「ドナ&ザ・ダイナモス」の中では“ターニャ”に当てはまるというジュディ。
     華やかでスレンダーな外見とは裏腹に、「ABBAの舞台を作りたい!」という一途な想いに半生を捧げた熱い女性であるといえるでしょう。

  • 脚本 キャサリン・ジョンソン

    ABBAのビョルン・ウルヴァースからカタログミュージカルの製作許可をもらったプロデューサーのジュディ・クレーマー。
    しかし、夢を実現させるために、クリアしなければならない課題が山積していました。

    その中でも大きな問題が“脚本”です。
    1999年の初演から遡ること2年前の1997年。脚本家を探していたジュディは、同世代のキャサリン・ジョンソンと出会い、初対面にして「この人しかいない!」と直感したといいます。

    一方、舞台やテレビドラマの脚本を手掛けていたキャサリンは、ジュディの持ちかけた話に今ひとつ乗り気ではありませんでした。
    いいアイディアが思い浮かばない。そう言って断るつもりでした。

    しかし、席を立とうとした瞬間、あるアイディアが突然彼女のもとに舞い降りたのです。
    「ねえ、三人の男と付き合った女性がいて、娘の父親が誰だかわからないってストーリーはどうかしら?」

    顔を見合わせた二人はもう一度座り直し、ここから『マンマ・ミーア!』の愛と再生の物語が生まれていきました。ジュディとキャサリン、ともに39歳の時のことです。

    「ドナ&ザ・ダイナモス」の3人の中ではドナに似ているというキャサリン。
    当時、すでに二人の子供を持つワーキングマザーであった彼女の思いがジュディの熱意とシンクロし、現代を強く生きる女性への愛に溢れた『マンマ・ミーア!』の物語に結実していったのでしょう。

  • 演出 フィリダ・ロイド

    メリル・ストリープが主演した映画版『マンマ・ミーア!』の監督も務め、再びメリルとタッグを組んだ『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』ではアカデミー賞も獲得したフィリダ・ロイド。彼女は、常に自立した女性の味方として、あたたかな眼差しを向けてきました。

    1957年、グレートブリテン島の西海岸の都市ブリストルで生まれた彼女は、バーミンガム大学を卒業後、BBC(英国放送協会)でドラマ制作に携わることになります。早くから頭角を現し注目されると、5年後には舞台演出家へと転進。ミュージカルから本格的なオペラまで、幅広い才能で活躍のフィールドを広げていきました。

    彼女にとっての転機は、やはり『マンマ・ミーア!』。プロデューサーであるジュディ・クレーマーは、演出家を選び出す過程で、自分と同世代の女性であり、しかも舞台の第一線で活躍していたフィリダに白羽の矢を立てたのです。
    家庭と仕事の両立に悩みながらも、社会の中でたくましく生きていこうと奮闘する女性に強いシンパシーを感じていたフィリダにとって、「ドナ&ザ・ダイナモス」の3人はとても魅力的かつ身近な存在でありました。
    1999年、ウエストエンドで開幕した舞台は、ブロードウェイから世界へと瞬く間に熱狂の渦を広げ、2008年に映画化された際にはテレビドラマ出身のフィリダが初のメガホンを執ることになります。
    ちなみに映画『マンマ・ミーア!』のDVDは、イギリスで最高売上の記録を打ち立てており、彼女自身も2010年に大英帝国勲章を叙勲しています。

    「ドナ&ザ・ダイナモス」の3人の中では、ロージーに似ているというフィリダ。
    「常に女性に対して“あなたは一人じゃないよ”と訴えかけられる、女性が共感できる作品を作って生きたい」と語る彼女にとって、同世代の女性3人と創り上げた『マンマ・ミーア!』は、その輝かしいキャリアの中でも一際眩しい光を発しているに違いありません。

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