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本当にいたトラップファミリー

『サウンド・オブ・ミュージック』は、実話に基づくお話なのは知っていますか?トラップ大佐とマリア、そしてトラップ家の子どもたち、彼らはみな激動の時代を生きた実在の人物です。
では、映画、そしてミュージカルで一躍有名となったトラップファミリーとは、どのような人たちだったのでしょうか?歴史が書き残した彼らの姿を少しだけ見てみましょう。

  • トラップファミリーの歴史
  • お転婆シスター・マリアの生涯
  • オーストリアの英雄・トラップ大佐の生涯
  • トラップファミリーの歴史

    『サウンド・オブ・ミュージック』のモデルとなったトラップファミリーは、舞台となるオーストリアに実在した家族です。家族だけで構成された合唱団として注目を浴び、30カ国以上で千数百回のコンサートを開いて人気を博しました。
    第二次世界大戦終結後の1949年、マリアが書いた自伝『トラップ・ファミリー合唱団物語』(The Story of Trapp Family Singers)が出版されるとその知名度は世界的なものとなり、この自伝をもとにミュージカル『サウンド・オブ・ミュージック』が1959年にブロードウェイで初演されるや大ヒットを記録。1965年には同名の映画も製作され、今や世界中から愛される名作として語り継がれています。

    このトラップファミリー合唱団は、物語と同じ、オーストリア軍人であるトラップ大佐と7人の子どもたち、そして後に大佐と結婚することになる修道女マリア、さらに、大佐とマリアの間に生まれる3人の子どもの12人家族で構成されていました。
    モーツァルト誕生の地でもあるオーストリア・ザルツブルクで暮らしていた一家は、たまたま屋敷を訪れたオペラ歌手に合唱祭へ出場することを勧められ、見事コンテストで優勝します。以後、合唱団の噂は瞬く間に広がり、ヨーロッパツアーを成功させるなど大人気となりますが、オーストリアがナチスドイツに併合されると一家は亡命の旅に出ることを余儀なくされてしまいました。

    故郷・オーストリアを離れ、ロンドンからアメリカへ。一家は、コンサートを開きながら、バーモント州ストウの農場で静かに暮らしました。戦後、自伝やミュージカル、映画が有名になると、一家のもとに多くのファンが集まるようになります。
    農場の一画に作られたホテル「トラップ・ファミリー・ロッジ」は、今もトラップ家の10番目の子ども(大佐とマリアの間に生まれた3番目の子ども)であるヨハネス氏が経営しており、世界中から多くの観光客が訪れています。

  • お転婆シスター・マリアの生涯

    物語の主役となるマリアは、1905年、オーストリアの首都・ウィーンで生まれました。しかし、生まれてすぐに母親を亡くし、父親の手で親戚の家に預けられてしまいます。その父親もマリアが9歳のときにこの世を去り、マリアはウィーンにある全寮制の国立師範学校(学校の先生になるための勉強をする場所)に入学しました。
    物語では、音楽を通じてトラップ家の子どもたちと心を通わせるマリアですが、もともと教師としての素養も持ち合わせていたことになります。

    こうして教師を目指していたマリアですが、学生時代から、山登りやハイキングが好きな活発でお転婆な女性でした。また、ミサ曲を聴きにウィーンの教会を巡り歩いたりするほどの大の音楽好きでもありました。
    そして、師範学校の最終学年のある日、いつものようにアルプスの美しい山々に囲まれていたとき、突如として"神に仕えたい"とカトリック信仰に目覚めたといいます。学校を出て、ザルツブルクにあるノンベルク修道院の修練女(シスター候補生)となったのは、マリアが20歳のときでした。
    しかし、慣れない修道院生活で体調を崩しがちだったマリアは、翌年、院長の勧めでトラップ家の住み込みの家庭教師として働くことになります。そこで、将来の夫となるゲオルグ・フォン・トラップと出会うことになったのです。

    物語同様、マリアはギターを弾きながら、子どもたちに歌を教えました。いつしかその輪の中にトラップ大佐も加わり、ふたりは愛し合うようになります。マリアがトラップ家にやってきたのは、1926年の10月。大佐がマリアに結婚を申し込んだのは、1927年の6月のことでした。
    プロポーズから約半年後の11月26日、ノンベルク修道院で結婚式を挙げたふたりの間には、ローズマリー・エレオノーレというふたりの娘と、ヨハネスという息子の3人の子どもが授かりました。戦後、マリアが書いた自伝によってトラップファミリーが世界的に有名になったことはすでにふれた通りです。

    合唱団を解散した後も、有名人となったマリアは講演活動やテレビ出演など精力的に活動していましたが、晩年は「トラップ・ファミリー・ロッジ」のあるストウで静かに暮らしたといいます。そして、1987年に82歳で亡くなると、夫・ゲオルグらとともにロッジのそばにある墓地で永遠の眠りについたのです。

  • オーストリアの英雄・トラップ大佐の生涯

    トラップファミリーの大黒柱であるゲオルグ・フォン・トラップは、1880年に海軍の軍人であった父親のもとに生まれました。

    海軍基地のある街で過ごすと、14歳で海軍兵学校に入学し、卒業間もない1900年に中国(当時は清)で起こった「義和団の乱」で大きな戦果を挙げて勲章を受けます。その後、潜水艦隊に配属されると、1911年には魚雷の発明者であるロバート・ホワイトヘッドの孫娘、アガーテ・ホワイトヘッドと最初の結婚をしました。

    1914年、第一次世界大戦が勃発すると、潜水艦の艦長としてここでも大活躍。オーストリアの英雄としてマリア・テレジア軍事勲章騎士十字章など数多くの勲章を受け、男爵という貴族の地位も得ました。
    しかし、第一次世界大戦後、戦争に負けたオーストリアは海に面した領土を失ってしまったので、海軍軍人であったゲオルグは早々に軍を退役し、水運会社の経営を始めました。1922年に妻・アガーテが病に倒れて亡くなると、一家はザルツブルク郊外のアイゲンにあるトラウン通り34番地に引っ越します(現在は、「ゲオルグ・フォン・トラップ通り」と名前がつけられ、屋敷も残っています)。
    マリアが家庭教師としてやってきたのは、この1年後のことです。当時、ゲオルグにはイヴォンヌ姫という婚約者がいましたが、愛している女性がいることを告げて婚約を破棄し、マリアとの結婚を選びました。

    結婚後、トラップファミリーは合唱団として人気となりますが、ナチスへの忠誠を拒否し続けたことで家族に危険が及ぶのを危惧し、1938年、ゲオルグは祖国を離れる決意をします。オーストリアから脱出しアメリカへと渡った一家は、その後コンサートツアーを開いて世界中を巡ることとなりますが、ゲオルグは精神的支柱として裏方から支え続けたといいます。

    そして終戦後の1947年、後にロッジが作られるバーモント州ストウの農場で、家族に見守られながら67年間の波乱に満ちた生涯を閉じました。

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トラップファミリーと激動のヨーロッパ

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