劇団四季

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劇団四季創立60周年記念企画 創立メンバー・インタビュー1 照明家 吉井澄雄に聞く

聞き手・文=石井啓夫  text by Keifu Ishii
撮影:上原タカシ

照明家 吉井澄雄

煌めく才能との出会い!四季の六十年は、我が人生そのもの

「いやぁ、よくぞここまで来たものかねぇ、が正直な感慨ですね。僕、今ちょうど八十歳。劇団四季が60周年。創立したのは、二十の時ですよ。その前から交友があった訳で、そう、高校時代の十七、八歳の頃。そこから考えると、僕の人生のほとんどすべてが、この"四季の60年"かな、という感じですね」。

思い出は、遥か昔に遡る。鮮烈と朧。記憶が交錯するなかで、しかし、今思えば、天の配剤と感謝する他はない。若く、情熱に満ち溢れた煌めく才能との出会い。吉井が、劇団四季旗揚げに至る過程を振り返る。

吉井が在籍した石神井高校には、吉井とともに四季創立メンバーとなる水島弘、井関一(ともに故人)らがいて、慶應高校グループには浅利慶太現劇団四季代表、日下武史、藤本久徳(故人)がいた。そして藤野節子(故人)らを加えた十人が、当時、渋谷区原宿にあった浅利代表のアパートで集う。

高校卒業後、三、四年が経過しており、各自大学生や就職をしながら、それぞれアルバイトをしたり演劇への道を模索していた。

「僕だけ、その時意気軒昂じゃなかった(笑)。創立資金として一人千円(※)ずつ持って来いということになって、1953年ですよ、当時、そんな金、僕なくて。僕降りるよと言ったら、藤野さんが私が出してあげるわって。なら、いいじゃないかと加わることになったのです」。

両校グループともその頃、みなフランス文学に憧れ傾倒していた。「慶應グループは先生である加藤道夫さんに心酔していたし、僕ら石神井派も先輩の諏訪正さん(元毎日新聞論説委員、仏文学者)がジロドゥを通して加藤さんに私淑していた影響で。一緒に芝居をやろうよ、ということになったのです」。

吉井は、照明家としての参加となる。石神井高校時代、演劇の道に目覚めさせてくれた二級上の諏訪たちが作った劇団「方舟」に参加した時は、俳優だった。「方舟に同期で入った水島や井関と俳優をやっていましたけど、早大の大隈講堂で公演するようになって、本格的な照明係が必要になったのです。僕、ラジオを作ったり、電気系統に才能があると思われたのでしょうね、君やってくれよということになって。僕自身も俳優業がしんどくなりかけていた頃で、水島のような才能ないな、と。もちろん芝居が好きでしたから、他の面から演劇を考えられないか、と照明の道を選びました」。

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劇団四季60年の歴史