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コラム

「浅利慶太 お別れの会」が行われました

9月18日(火)、去る7月13日に永眠いたしました、劇団四季創立者であり演出家の浅利慶太のお別れの会が東京都内で行われました。故人に縁のある関係者が参列するセレモニーののち、一般のお客様もたくさんご来場くださり、献花をいただきました。

浅利は慶應義塾大学文学部仏文科在学中の1953年に、故・日下武史ら10名で劇団四季を創立。以来、劇団代表・演出家として、ストレートプレイからオリジナルミュージカル、海外作品翻訳上演まで、ほぼ全作品のプロデュースや演出を手掛けました。オペラ演出など劇団外の活動も行い、国内外において数々の賞を受賞。その圧倒的な手腕で、日本の演劇文化を飛躍的に発展させてきました。
2014年に劇団代表職を退いてからは、活動の拠点を現在の浅利演出事務所へ移し、「浅利慶太プロデュース公演」として計12公演を演出。先週12日(水)、自由劇場にて千秋楽を迎えたストレートプレイ『アンドロマック』が、浅利が最後に企画・準備をした作品となりました。

お別れの会のセレモニーには、ともに四季を築きあげた盟友・吉井澄雄氏(照明家)をはじめ、劇団内外の関係者1300名が列席。
自由劇場の開幕を告げる銅鑼の音が、会場に厳かに鳴り響き、式の始まりを告げると、初めに浅利がこれまで残した数々の言葉を映像で紹介。そして、献歌としてミュージカル『コーラスライン』より、「愛した日々に悔いはない」を全劇団員で捧げました。
その後、一人ひとりが花を手向けながら、故人を想い、別れを偲びました。

劇団四季創立65周年の前日7月13日に、生涯の幕をおろした浅利慶太。心からの敬意と哀悼を込め、安らかな眠りをお祈り申し上げます。

祭壇は、浅利慶太の生涯初演出「我が心高原に」(ウィリアム・サローヤン 加藤道夫訳 慶應高校時代)をイメージして総計18,000本の花で彩られました

祭壇は、浅利慶太の生涯初演出「我が心高原に」(ウィリアム・サローヤン 加藤道夫訳 慶應高校時代)をイメージして総計18,000本の花で彩られました

親族を代表し、浅利慶太夫人・浅利玲子がご挨拶しました

親族を代表し、浅利慶太夫人・浅利玲子がご挨拶しました

献花する劇団四季創立メンバー・吉井澄雄、浅利玲子、劇団四季代表取締役・吉田智誉樹

献花する劇団四季創立メンバー・吉井澄雄、浅利玲子、劇団四季代表取締役・吉田智誉樹

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