劇団四季

ミュージカル李香蘭

2019年7月開幕

Introduction

『ミュージカル李香蘭』は、日本の激動の時代、1920年代から1945年までの歴史を、客観的に、かつダイナミックに描き出しながら、大きな歴史の流れに翻弄されたアジアの歌姫の数奇な運命を浮き彫りにしています。

1人の女性の半生を描くことで昭和という1つの時代を浮き彫りにする『ミュージカル李香蘭』への反響は非常に大きく、公演のたびに劇団に寄せられる感動の声、そして再演の希望は後を絶ちません。

反響は国内にとどまらず、 1992年には中国政府の招聘を受け中国4都市(北京・瀋陽・長春・大連)、1997年、シンガポールでも上演を行い、海外でも深い感動を伝えてきたのです。

次第に忘れ去られてゆきつつある戦争でどのようなことが人々の身に起こったのか。
これからも劇団四季は『ミュージカル李香蘭』の上演を通して21世紀という新しい時代を担う人たちに、戦争と平和を語り継いでいきます。

Story

祖国反逆者の裁きの場で——

第二次世界大戦直後の中国——「殺せ! 漢奸、裏切り者を」という民衆の声が響きます。
戦争中に敵国日本に協力した漢奸(祖国反逆者)を弾劾する裁判が開かれているのです。

被告席に立つのは、美貌の女優<李香蘭>。
日本語、中国語を流暢に話し、歌う映画女優として満洲映画協会で活躍した香蘭は、日本の宣伝工作に加担した裏切り者としてその罪を問われることになります。
検察官が死刑を求刑したその時、李香蘭は驚くべき告白をします。

「私は中国人ではありません。日本人なんです」

日本人であれば「祖国反逆」の罪に問うことは出来ない——
人々が困惑する中、日本人「山口淑子」がどのようにして希代の歌姫<李香蘭>になったのか、その半生が語られてゆきます。

日本人「山口淑子」から中国人「李香蘭」へ

山口家の長女として中国で生まれた「淑子」は、少女の頃、父の友人である李将軍の養女となります。
将軍から<李香蘭>という名をもらった淑子は、生まれ育った中国と祖国日本への愛とを胸に秘め、幸福な生活を送っていたのでした。

その頃、中国東北部に建国された満州国は、アジアの5つの民族——満州族、漢民族、朝鮮族、蒙古族、日本人——が平等に暮らす「五族協和」を建国の理念に掲げていました。
国家元首として清朝最後の皇帝溥儀(ふぎ)がいたものの、実際は国際社会から認められない日本の傀儡(かいらい)国家。
実権は関東軍が握っていたのでした。

他民族への締め付けや罪もない中国民衆の虐殺から、各地で抗日運動が盛んに行われるようになります。
淑子が姉と慕っている中国人・愛蓮もまた日本を相手に戦うことを決意するのでした。
学生たちから中国人と思われていた淑子は「もし北京へ日本が攻め込んできたら、君はどうするのか」と尋ねられ絶句します。

「私は立つでしょう。この北京の城壁の上に——

大スターへの道

二つの国の間で揺れる淑子の悲しみをよそに、彼女の流暢な中国語とエキゾチックな美貌、たぐいまれな歌の才能に目をつけた人々がいました。
関東軍によって設立された満洲映画協会、通称「満映」は、淑子を歌う女優・李香蘭としてデビューさせます。

その人気は爆発的に高まり、心ならずも日本の国策映画に次々と出演する淑子<李香蘭>はスター街道を突き進みますが、彼女が中国人であることを疑う者はありませんでした。

時代は次第に戦争一色に。
ついに日本とアメリカ・イギリスの間で太平洋戦争が勃発します。
日本は世界を相手にまわし、泥沼の状況へと追い込まれてゆくことになるのです。

そうした殺伐とした時代に、香蘭の歌うナンバーは人々の心にしみわたり、彼女の人気はとどまるところがありませんでした。
日本の日劇で開かれたショーには、つめかけたファンが劇場を7回り半も取り囲むという事件も起きてしまいます。

終戦、そして裁きの場へ——

一方、愛蓮は仲間たちと抗日のゲリラ組織に加わり戦っていました。
戦局はますます悪化し、日本でも中国でも若者たちが命を失ってゆきます。
多くの日本人はマスコミの情報を鵜呑みにし、日本は勝利する、と信じ込んでいたのでした。

1945年、広島・長崎へ原爆が投下され、ソ連軍が参戦、そして終戦を迎えます。

日本は敗れ、李香蘭は中国を裏切った祖国反逆者として逮捕されてしまいます。
肉親や友人を失った人々の怒号が渦巻く中、判決を前に、裁判長に促された李香蘭が口にしたのは、自分を生み育んだ中国への愛の言葉でした。

法定で李香蘭の日本国籍が立証されたとき、裁判長は「徳をもって怨みに報いよう——以徳報怨」と告げるのでした。