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オペラ座の怪人を生んだ匠たち その2

『オペラ座の怪人』が多くの人に愛される理由のひとつに、作品のクオリティの高さが挙げられます。 トニー賞の7部門に輝いた不朽の名作。
そこに息づく楽曲、振付、美術のマエストロたちの人物像と仕事に、焦点を当ててみましょう。

  • バレエ界の奇才振付師 ジリアン・リン
  • 舞台美術の巨匠 マリア・ビョルンソン
  • 生粋の天才ダンサー 振付師ジリアン・リン

    クラシカルなバレエシーンが登場する『オペラ座の怪人』。
    その振付家ジリアン・リンもまた、天性の才能を持ったバレリーナでした。

    1926年、ロンドン郊外の街ブロムリーで生まれたリンは、17歳でロイヤル・バレエ団の前身であるサドラーズ・ウェルズ・バレエ団に入団すると、『眠れる森の美女』『ジゼル』『チェックメイト』などの舞台で次々と大役を射止め、スターバレリーナとしての名声を確立していきました。

    ここで、彼女の天性の才能を物語る有名なエピソードを紹介しておきましょう。
    それは、彼女が小学生だったときのこと。ジリアンの両親は、小学校の教師からジリアンに学習障害があることを伝えられました。
    いつもそわそわしていて落ち着きがなく、授業からも落ちこぼれていたジリアン。両親は大変心配し、すぐに専門の医師のもとへ彼女を連れていきました。
    そこで相談を受けた医師は、母親の話とジリアンの様子を見て、ある行動に出ます。ジリアンを一人部屋に残し、退出間際にラジオのスイッチを入れて音楽を流したのです。すると、どうでしょう。ジリアンが音楽に合わせて一人で楽しそうにダンスを踊り始めたではありませんか!
    その姿を母親と一緒に見守った医師は、最後にこうアドバイスを送りました。
    「お母さん、ジリアンは病気なんかじゃありません。ダンサーなのです。ダンス・スクールに通わせてあげてください」

    生まれながらのダンサーであるジリアンは、1951年にバレエ団を退団すると、活躍の場をウエストエンドへと移し、ここでも瞬く間にスターになります。彼女の才能と人気は、舞台だけでなく映画やテレビへも波及し、1960年代に入ると本格的に振付家・舞台監督の道へと進んでいきました。

    それから半世紀あまり、数多くの舞台・映画を手掛けてきたジリアンのキャリアの中でも最も輝かしい成果と言われているのが、アンドリュー・ロイド=ウェバーとの一連の仕事です。
    モダンとクラシック、バレエと演劇を融合させたジリアン独特の振付によって命を吹き込まれたのは、『キャッツ』、『アスペクツ オブ ラブ』、そして『オペラ座の怪人』の3作品。そのどれもがジリアンの最高傑作であると同時に、ロイド=ウェバーのキャリアの中でも最も重要な作品となっています。

    1997年にはその功績を称えて爵位が授与され、2011年に上演された『オペラ座の怪人』25周年記念公演でも自ら再び振付を担当。2018年に92歳でその生涯を閉じるまで、第一線で活躍し続けました。

    障害があるのではと心配されながら、ラジオに合わせて夢中で踊っていたひとりの天才少女―『オペラ座の怪人』という稀代の名舞台が完成するには、ありきたりな枠組みに収まりきらない、ジリアン・リンという型破りの才能が必要だったのです。

  • 舞台美術の巨匠 マリア・ビョルンソン

    『オペラ座の怪人』の舞台美術とコスチュームを手掛けた、マリア・ビョルンソン。オペラ、バレエ、そしてミュージカルの舞台美術の偉大なる巨匠です。
    この作品で1988年にトニー賞の最優秀美術賞と最優秀衣裳賞の二つを獲得。輝かしい経歴の持ち主である彼女の、完璧を極める仕事ぶりにスポットを当ててみましょう。

    『オペラ座の怪人』の舞台美術を担うに当たり彼女はまず、パリ・オペラ座を徹底して取材し、考証しました。実物の荘厳な建築にいたく感銘を受け、舞台上にこれを完全な形で再構築しようと決意したからです。リアルな再生に、まがい物は要らない。そんな信念を貫き、装置・大道具から手持ちの小道具に至るまで緻密さを欠くことなく真実の再現に徹したビョルンソン。それがどれほど作品の出来を大きく左右し、また作品に息を吹き込むことができるのか、ということがおそらく彼女には見えていたのでしょう。
    パリ・オペラ座の取材で彼女が撮影した写真は、実に400枚以上。そうして忠実に再現された舞台装置は、筆舌に尽くしがたいほどの華麗さ、重厚さを兼ね備えており、神聖ですらあります。

    まず冒頭のシーンで大音量の曲と共に床から立ち上がるシャンデリア。パリ・オペラ座のシャンデリアを模して造られたそれは、高さ約2メートル、横幅約3.5メートル、奥行き約2メートル、重さは約400キログラム。電球やフラッシュ(ストロボ)に加えて3万4000個もつけられた飾りのビーズは、このシャンデリアのためだけにデザインされたもので「マリア・ビョルンソン・カット」と呼ばれるカッティングが美しい輝きを放っています。
    また舞台を囲む額縁状の枠〈プロセニアム・アーチ〉には本格的な彫像が施され、この黄金の色についても「パンプキンゴールドでないと」とビョルンソンがこだわって指示。わざと汚しをかけるなど、細かいディテールにも手を抜かない彼女らしいエピソードが残っています。ビョルンソンがパリ・オペラ座で最もインスパイヤされ、「すべてを本物で」と決意させられたドレープは、素材にもこだわって実に数千万円という費用がかけられました。
    これらが舞台上に完璧な劇場を創り上げ、観客を一瞬にして19世紀パリ・オペラ座へと誘うのです。彼女の手掛ける舞台美術は自己満足的な美しさにこだわったものではなく、「観客を楽しませよう、驚かせよう」というホスピタリティに満ちたものばかりなのも特徴的。
    華やかな劇場セットとは対照的な地下湖の舞台装置も圧巻で、現れては消える無数のキャンドルは本物の炎と見間違えるほど。霧(スモーク)に包まれたボートが滑らかに進むシーンは、幻想的そのものです。
    また大がかりな装置ばかりではなく、観客からは見えない楽譜や手紙、オークションリストなどの紙類にはすべてびっしりと文字や音符が当時の形式で書かれていて、小道具ひとつにもまったく手を抜かない姿勢がうかがえます。もちろん衣裳への思い入れも熱烈。細かく採寸し、ロンドンのテーラーで2ヵ月かけて製作された衣裳は実に200着強。デザインだけでなく織地や色調、刺繍などの装飾に至るまで時代考証により緻密に復元させています。

    彼女の美術が持つ魅力に身を任せ、心ゆくまでその世界観に酔いしれてみてください。

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