『壁抜け男』とは?その魅力をご紹介
原作者であるマルセル・エイメ。国民的作家と呼ばれるこの名も、日本ではあまり馴染みがないかも知れません。そこで、その生涯を簡単にご紹介しておきましょう。
エイメは、1902年、白ワインで有名なシャブリ村があるヨンヌ県で生まれました。そして20歳で医学を志してパリへと上京し、学業の傍ら新聞記者・銀行員などさまざまな職に就きますが、ほどなく挫折。慣れない生活に体も壊し、郷里へ戻って小説を書き始めたのが、作家としての第一歩となりました。
20代でルノードー賞など数々の文学賞を受賞し作家としての名声を確立したエイメは、同時に『おにごっこ物語』など童話も手掛けるようになります。それらの作品は、現在もフランスの子どもたちに読み継がれており、エイメが国民的作家と呼ばれる所以でもあります。
終戦後は、劇作家としても活躍し、喜劇の中に痛烈な社会風刺を織り交ぜた作品で"モリエールの再来"とまで呼ばれ激賞されました。
本業である小説も、若き日の古典的な作風から徐々にミステリーとも思える幻想的な作風へと変化し、その変化は代表作『壁抜け男』『第二の顔』などに結実しています。
エイメが現代フランス文学史に残した功績は、日本では中村真一郎や生田耕作といった優れた文学者の手で翻訳がなされいることからも明らかでしょう。
生涯の多くの時間をモンマルトルで過ごし、この街を愛したエイメが亡くなったのは1967年のこと。
同じくモンマルトルで創作を行った画家ユトリロや、フランス6人組のひとりである作曲家アルテュール・オネゲルらが眠るサン・ヴァンサン墓地に埋葬され、永遠の眠りについたのです。
原作『壁抜け男』が刊行されたのは1943年、第二次世界大戦の真っただ中においてです。
1939年、ナチス・ドイツのポーランド侵攻に対してイギリス・フランス両国が宣戦布告を行い開戦すると、翌年の1940年、ドイツはフランスへの侵攻を開始。同年6月14日にはドイツ軍がパリに無血入城し、一週間後の21日にフランス政府が降伏するとパリはナチスの占領下に入りました。
この占領は、ノルマンディー上陸作戦を機に連合国軍によって解放される1944年まで続きます。
占領下のパリでは、深刻な食糧難が市民を襲い、配給制が実施されるようになりました。
デュティユルがまず最初にパンを盗んだのも、時代背景としての"飢え"を感じさせます。
また、刊行前年の1942年7月には、フランス警察が1万人以上のユダヤ人を一斉検挙し競技場に監禁した"ヴェルディヴ事件"が起こっています。
非理性的な行為を何より嫌い、実際にユダヤ人迫害に抵抗した原作者エイメにとって、この事件が落とした影は大きかったことでしょう。
さらに、フランスという大きな枠でとらえれば、当時はナチスが占領する北部、ナチスに対して協調的な立場を取らざるえない南部のヴィシー政権、そして亡命先のイギリスから抵抗運動(レジスタンス)を呼びかけるシャルル・ド・ゴール率いる自由フランスと、複雑に分裂し、それぞれに抑圧された状況にありました。
その中で、周囲を囲う"壁"を通り抜けることは、フランス国民が何より渇望した自由の象徴であったのかもしれません。
Copyright SHIKI THEATRE COMPANY. 当サイトの内容一切の無断転載、使用を禁じます。