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ベル・エポック期のパリ・オペラ座

Paris Opera of the Belle Epoque term

万国博覧会が開かれ、エッフェル塔が建てられ、メトロが開通したベル・エポック期のパリ。「芸術の都」として花開いたこの地に、オペラ・ガルニエ(オペラ座)もお目見えしました。人々が心躍らせた華やかな時代・ベル・エポックと、ひときわ賑わったオペラ座に焦点を当ててみましょう。

  • ベル・エポック期のパリ・オペラ座
  • 時代の栄華を物語る建造物~ガルニエ宮~
  • ベル・エポック。それはフランス語で、「良き時代」という意味。
    日本でも「古き良き時代」という言葉はよく使われます。不況が癒えることなく、多くの悲しみをはらんだ天災に見舞われ、ひと昔前までは考えられなかったような事件が多発する「こんなご時世」の対極として語られる日本の「古き良き時代」とは、さしづめ高度経済成長期の頃のことでしょうか。先進国に追いつけ追い越せ、と人々の顔は明るい意欲でみなぎり、どんどん豊かになりつつも家族の絆が強く温かかった、輝きに満ちた時代…..。

    「ベル・エポック」と言われるのも、同様に経済的に豊かな時代のことです。やはり経済的に恵まれてこそ、その潤いがあらゆる分野で開花するということなのでしょう。
    普仏戦争(1870年~1871年にフランスとプロイセン王国の間で行われた戦争)にフランスが敗れてから第一次世界大戦が勃発するまでの間、フランスでは産業革命が進み、消費文化が栄えることとなります。これによってボン・マルシェ百貨店は、建築家にかのギュスターヴ・エッフェル(エッフェル塔設計者)を招き、新装オープンを実現しました。この時モデルとされたのが、パリオペラ座・ガルニエ宮だと言われています。

    1900年には、パリ五輪に合わせてパリ万国博覧会が開催されました。これに伴ってグラン・パレとプティ・パレも建てられ、セーヌ河にはこれまでのどの橋よりもラグジュアリーな装飾が施されたアレクサンドル3世橋が架けられました。
    このように「花の都」として栄えたパリは、同時に「芸術の都」とも謳われたことは周知。19世紀末~20世紀初頭にかけて、フランスのベル・エポックの象徴でもある装飾美術「アール・ヌーヴォー」が、芸術界を席巻しました。
    代表的なものはエミール・ガレによるガラス工芸品やルネ・ラリックによるガラス宝飾、そして建築家エクトール・ギマールによるパリの地下鉄出入り口など。
    花や植物などの有機的なモチーフを扱ったり、自由曲線を組み合わせたりという従来の様式に囚われない装飾性が、アール・ヌーヴォーの大きな特徴。また鋼やガラスといった当時の新素材の利用も、大いに注目を浴びました。

    さて、ミュージカル『オペラ座の怪人』の舞台でもある、オペラ・ガルニエ(オペラ座)の完成もまた、ベル・エポック期である1875年。メトロ(地下鉄)も開通し、以来花の都パリは経済や文化の栄華を欲しいままにしました。瀟洒な建物が立ち並ぶ中でも、ひときわ燦然と輝く絢爛なオペラ座。人々はシックな装いに身を包み、いそいそとオペラ鑑賞に出かけました。
    オペラ座横に店を構える由緒あるカフェ・ド・ラペもまた、オペラ座と同じくシャルル・ガルニエによる設計。公演の長い幕間には、エレガントな観客たちがここで休息を取り、華やかな社交を楽しんだと言われています。
    見事な繁栄を遂げた華やかなりしパリにも訪れた、ベルエポックの栄光。何もかもが便利に進化した近代にはない芸術や娯楽が、人々の生きる力を支えていたに違いありません。

  • ベル・エポックを象徴する建物とも言える、パリ・オペラ座=ガルニエ宮。と言っても、最初の礎石が置かれたのは1862年。パリの街もまだベル・エポックを知らない頃のことでした。
    パリの王立・国立のオペラ劇団が公演する13代目の劇場として、またナポレオン3世の第二帝政をたたえる記念碑的建造物として1860年、設計が広く公募されます。当時36歳の若き無名建築家シャルル・ガルニエの案が採択され、やがて1875年1月1日に晴れて「ガルニエ宮」が落成しました。着工から完成まで、実に13年。その間、普仏戦争の敗北やナポレオン3世の亡命など大きな出来事が多く、何度か工事の休止を余儀なくされたといういわくつきではありますが、竣工当時はまさにベル・エポックが花開いたばかりの時代。豪華絢爛なルックスさながら、華麗なデビューを飾ることとなります。

    ベル・エポックを満喫するハイソサエティな人々が、オペラというラグジュアリーな娯楽を楽しみ、社交の場として大いに活用したガルニエ宮。その外観は無数の彫像で埋め尽くされ、正面にはギリシャ神殿のような円柱が並んで配されています。その上にまるで王冠であるかのごとく翡翠色のドーム屋根が鎮座し、左右には楽器を奏でる女神像が黄金に輝いています。内装とて豪華絢爛そのもの。栄華を誇ったベル・エポックにふさわしい、時代の寵児とも言うべきこの建造物は、ネオ・バロック様式と称されました。
    当時としては最新素材とされていた鉄を使用したことで、従来は不可能と言われていた巨大な空間を確保することに成功。この時代では、観客収容規模が最大の劇場となりました。実に画期的な設計だったと言わざるをえません。
    仄暗いエントランスホールを抜けると、天井まで吹き抜けの大空間に、二階へと続く幅10メートルもの華麗な大階段が、左右から対照に弧を描いて延びています。突如として現れるその壮麗さは、まさに圧巻。これこそが、『オペラ座の怪人』第二幕の冒頭で華やかな仮面舞踏会が繰り広げられるシーンに登場する大階段です。

    劇場に足を踏み入れると、吹き抜けの2階~4階にはバルコニー席がせり出していて、非日常なゴージャスを感じさせてくれます。現在天井画に使われているのは、マルク・シャガールの絵。古き良きネオ・バロックに浮かび上がる現代美術という絶妙なミスマッチバランスが、人々の心を魅了しています。
    また意外と知られていないのが、劇中でクリスティーヌとラウルが愛を確かめ合ったオペラ座の屋上で実際は蜂が飼育されているということ。これは道具係が小道具として蜂を飼育するために屋上に巣箱を作っているためですが、ここで作られるハチミツは、フランスで有名な高級食糧店フォション社によって「オペラ座のハチミツ」として販売され、ガルニエ宮の名物となっています。
    さて、実際のガルニエ宮とミュージカル『オペラ座の怪人』を語るにあたって特筆すべきなのは、やはり地下の湖。ガルニエ宮には、地下水処理のため地中深くに巨大な二重の水槽が造られているのです。原作者のガストン・ルルーはここからインスピレーションを得て、地下湖に棲む『オペラ座の怪人』を書いたと言われています。

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