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コラム

吉井澄雄さん お別れの会が、自由劇場で行われました

本日10月20日(月)、去る7月2日に逝去された、劇団創立メンバーであり日本照明家協会名誉会長である吉井澄雄さんのお別れの会が、自由劇場(東京・竹芝)で行われました。吉井さんに縁のある舞台関係者から一般のお客様まで、約500名の方が訪れ、故人との別れを偲びました。

吉井さんは1953年、東京学芸大学在学中に、浅利慶太、日下武史らとともに劇団四季の創立に参加。以来、演劇、オペラ、ミュージカル、舞踊と幅広い分野で、照明デザインの第一人者として活躍。四季での活動においても、創立第1回公演『アルデール又は聖女』を皮切りに、『間奏曲』『ひばり』『オンディーヌ』『はだかの王様』『夢から醒めた夢』など、多くの舞台を担当。64年からは日生劇場と二期会を中心に、モーツァルトとワーグナーのほとんどの作品を担当し、日本のオペラ照明の技法を確立しました。
また、舞台設備全般の計画、設計に関与し、浅利慶太をはじめ、三代目市川猿之助(二代目猿翁)、蜷川幸雄、鈴木敬介、石井ふく子の諸氏他、日本を代表する多くの演出家による作品の照明も担当。85年ミラノ・スカラ座『蝶々夫人』(浅利慶太演出)、パリ・オペラ座『サンドリヨン』、ミュンヘン・バイエルン国立歌劇場『影のない女』など海外での仕事も多く、92年にはローレンス・オリヴィエ賞「ライティングデザイナー・オブ・ザ・イヤー」にノミネート。芸術選奨文部大臣賞、東京都民文化栄誉章、旭日小綬章など、多くの賞を受賞され、日本照明家協会名誉会長も務められました。
2018年、このお別れの会の会場である自由劇場で上演された『アンドロマック』が、生前最後の仕事となりました。

式の司会を務めた劇団四季代表取締役・吉田智誉樹は、吉井さんが築き上げた数々の功績を紹介し、また、「吉井先生や浅利先生が愛した劇団四季を、全身全霊で引き継いで参る所存です。どうか天国で、私たちをお見守りください。吉井先生、本当にありがとうございました」と、深い感謝の念を込め、言葉を贈りました。
その後、送別の言葉として、日本照明家協会会長・林光政氏が登壇。続いて、吉井さんの弟子であり、ともに劇団四季の多くの舞台照明を手掛けた照明家・沢田祐二氏が「吉井さんの『照明家人生(しょうめいかじんせい)』『アカリ屋人生』は誠に素晴らしいものでした。それと同時に深い人間性と知性に裏打ちされた吉井さんの人生は、舞台人、劇場人そのものでした」と送別の言葉を贈りました。
その後、吉井さんが照らしてきた数々の舞台を見届け、愛してくださった一般のお客様を含め、一人ひとりが花を手向けながら、故人を想い、別れを偲びました。

照明家の第一人者としてその分野を目指すひとたちの道筋を照らし、創立メンバーのおひとりとして劇団の活動をいつも見守ってくださった吉井澄雄さん。
劇団員一同、心より感謝と哀悼の意を表し、安らかなお眠りをお祈り申し上げます。

吉井澄雄さんを偲ぶ会の会場・自由劇場は、生前最後の仕事となった『アンドロマック』をはじめ、ご自身が数多くの舞台照明を手がけられた場所でした

吉井澄雄さんを偲ぶ会の会場・自由劇場は、生前最後の仕事となった『アンドロマック』をはじめ、ご自身が数多くの舞台照明を手がけられた場所でした

式の司会を務めた劇団四季代表取締役・吉田智誉樹。吉井さんの功績を紹介し、感謝の言葉を伝えました

式の司会を務めた劇団四季代表取締役・吉田智誉樹。吉井さんの功績を紹介し、感謝の言葉を伝えました

吉井さんへお別れの言葉を贈る、日本照明家協会会長・林 光政氏

吉井さんへお別れの言葉を贈る、日本照明家協会会長・林 光政氏

吉井さんへお別れの言葉を贈る照明家・沢田祐二氏(左)と、代読を務めた俳優・味方隆司(右)

吉井さんへお別れの言葉を贈る照明家・沢田祐二氏(左)と、代読を務めた俳優・味方隆司(右)

ご生前にクラシック音楽をこよなく愛した吉井さんへ、ヴァイオリンによる献奏が行われました

ご生前にクラシック音楽をこよなく愛した吉井さんへ、ヴァイオリンによる献奏が行われました

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