二代目市川左団次が7月に歌舞伎で初めての海外公演をする。ついては事前交渉のため、急遽(きゅうきょ)モスクワに行ってもらいたい。
そう命じられたとき、浅利鶴雄は撮影に追いまくられる身だった。ときに1928年(昭和3年)初夏のころ。なにしろ出発する6月に『神への道』と『マルセーユ出帆(しゅっぱん)』、本隊が出発する7月にも『棘(とげ)の楽園』とたてつづけに出演作が公開されている。『マルセーユ出帆』では大切な脇役をつとめたから、撮影は急ピッチになった。前年秋に出た『毎日年鑑』で、鶴雄は林長二郎(長谷川一夫)や市川右太衛門とともに台頭する人気映画俳優に指折られる売れっ子だった。