二代目市川左団次は1928年(昭和3年)7月12日、東京駅を出発した。右翼の襲撃を心配して一般には伏せられていたが、松竹社長の大谷竹次郎以下、見送りは盛大だった。ものものしい空気について、永井荷風が書き残している。
朝九時過(すぎ)東京駅停車場に往(い)く、松莚子(しょうえんし)夫妻は精養軒二階の一室に在(あ)り、護衛の壮士十四五名多くは安洋服にて一隅にひかへたり、昨夜駿河台にて見たりし者二名は松莚君の身辺に椅子を引寄せて鉄扇(てっせん)らしきものを持ちたり、廊下より乗車場のあたりには巡査刑事等(ら)多し、但(ただ)し人数判明せず、九時半下関急行列車は無事見送人万歳連呼(れんこ)の声中東京駅を出発す......
永井荷風『断腸亭日乗』