築地小劇場はなぜ分裂したのか。小山内薫、土方与志とともに演出をになった青山杉作はこんなことを書き残している。
築地小劇場が分裂した最大の原因は、そのころとうとうとして文壇や劇壇を風びした左翼運動にあった。 青山杉作「回想記」
どういうことだろうか。
明治末の大逆事件以降、治安強化の機会をうかがっていた政府は1923年(大正12年)9月の関東大震災に乗じ、治安維持令を出した。治安維持法制定はその2年後、築地小劇場開場の翌年のことだ。新しい演劇は左翼運動の影響を受ければ受けるほど、検閲の打撃にさいなまれた。経営を圧迫する公演中止命令の恐怖は、現代の演劇人もコロナ禍で経験したばかり。